すきなこと

好きな作品や、好きなこと。井浦新さんが好きなので、作品を観ての感想なども多いと思います。

映画「ニワトリ★スター」へ向けて

ニワトリスターの話。

 

この映画についての想いをどうしても書きたくて、ブログを作りました。

私は映画というコンテンツについては、物凄く興味があるか話題になっていれば観るけれど、なるほどそういう話かと思ったらそれで終わる…。というタイプであったのですが、この作品だけは違っていました。初めて観てから今日でちょうど一ヶ月が経ったのですが、想いは募るばかりです。

ニワトリ★スターを観る前と観た後の私で、目に見えて何かが変わった訳ではありません。それでも私はこの作品を観て、言葉にはならない熱を自分の中に感じ、それが一ヶ月経った今も確かに燃え上がっている。人と人との繋がりや、自分の本当にやりたかったことへ目を向ける時間が観る前よりも格段に増えている。何も変わらない日常が当たり前なのではないと、前に向かって進むために少しずつ一歩を踏み出そうと出来ている。それは私自身に起こった確かなことで、そう考えさせてくれるほどの圧倒的なエネルギーがあったこの作品のことを自分の言葉で残しておきたくて、今こうして文字を打っています。

少しでも興味を持っていただけましたら、どうぞ、お付き合い頂けますと幸いです。

  

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ニワトリ★スター

主演 雨屋草太:井浦新さん、星野楽人:成田凌さん。

監督 かなた狼さんの作品です。

 

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東京の片隅にある奇妙なアパート“ギザギザアパートメント”深夜のバーでアルバイトをする草太と楽人は自堕落な共同生活を送っていた。

アパート1階にあるバーでのアルバイトの傍ら。草太の秘密。それは大麻の半端な末端売人である事。

天真爛漫で自由気ままで破天荒な楽人。これといった人生の目標もなく、大都会東京の底辺でだらだらと日々を過ごす二人。それなりに楽しくも、互いの知らない心の葛藤や変化。いつかは終わる日々。そして様々な登場人物が織りなす群像。

 

そして物語は破滅と再生へ。突如、草太達に訪れる“あいつら”の恐怖。街の不良を影で操り暴力団の新たなる形態を司る爬虫類型ヤクザ・八田と爬部井。草太に大麻を卸す不良ラッパーJが禁断の扉を開けた…。

 

不穏な影が草太と楽人の運命を捻じ曲げる。物語は宇宙ロケット旅行から裏社会。下町のお好み焼屋からラブロマンス。セクシャルの定義や血の繋がらない家族や兄弟という価値観。エトセトラ。人間の混沌が混ざりに混ざり。絶望と希望。草太と楽人が迎える運命の先には、予測不能の結末が...「知っているつもり」で「何も知らなかった」 ニワトリ★スターは“ギザギザ傷だらけ大人のファンタジー”乞うご期待でございます。

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公式サイトhttp://niwatoristar.com/

あらすじより引用。

 

初めてあらすじを読んだとき、なんだか色々あるのは分かったけれど、なにが起こるのかさっぱり分からない…と、どこから手をつけたら良いのか分からない気持ちになりました。

ロケット…??な、なんの話?井浦新さんと、成田凌さんが、ど、どうしたって…?と、?マークが山ほど飛びました。唯一分かったのは、私が普段見るジャンルの映画ではないだろうな。と言うこと。

時間は全部で2時間15分。135分の映画です。

とりあえずバイオレンスなのは理解しましたが、普段好んで観るジャンルではありませんので…耐えられるのか、これ?と、本当に迷いました。

観られなかったらどうしよう。2時間以上、もし無理だったときどうしたら良いのか。真剣に、渋谷のヒューマントラストシネマの上映スケジュールを眺めました。

 

井浦新さんの演技は見たい。私は本当に新参で、井浦新さんを知ったのはアンナチュラルの中堂さんでした。井浦新さんという役者さんが、ご本人自体がどういう方なのかも一切知らない。それでも中堂さんの演技がとても凄かったから、この方は間違いなく期待を裏切らない役者さんだと全幅の信頼がありました。

成田凌さんは、本当に申し訳ないのですが演技を見たことがありませんでした。メンズノンノの専属モデルさんで、俳優業もしていらして…と、基本知識のようなものを慌てて入手したくらいで。それでも、予告の雰囲気。既に行われた舞台挨拶などでのご本人の雰囲気を見比べて、どうしても楽人を演じたいのだと切望していたエピソードを聞いて、こんなにも自分のお仕事に繊細に向き合われている方が、そこまで言うものを見てみたいと思いました。

でも、映画の雰囲気もジャンルも全く分からない。この映画、そもそも分類なんなの?と、誰にも聞けず首傾げました。だってあまりにも、あらすじ読んでも全く分からなくて。ここまで分からない映画のあらすじ読んだことがなくて。そうして私は一週間ほど、ニワトリ★スターを観るかどうかで、悩む日々を過ごしました。

 

結論から言うと、ニワトリ★スターは、作り手側も一言では言い表せない作品。でした。既存のジャンルに割り振ることなんて出来ない作品だったのです。

実際に観た後に、井浦さんが「未だに、ニワトリ★スターを一言で言うと?と聞かれるのが困る」とおっしゃっていたのを知りました。色んなものが混じり合って、ジャンル分けなんか出来っこない。一言でなんて言えない。と。

そういう、作品でした。

予告を見てもあらすじを読んでも、草太と楽人が話の中心であることは確かだけれど、二人が関わる毎日の色んな話が混ざり合っているような。いっそオムニバスのような印象。それは多分、この作品においては正しかった。

ニワトリ★スターの世界に生きる全ての人が、それぞれの人生を生きている。生の姿がそこにある。だからこそ世界は、画一じゃない。だけど、作品としての世界は一貫している。

世界は誰か一人を中心に回っているのではなく、それぞれの人が、それぞれの人生の中心であるのだと言うこと。それは余りにも当たり前の話で、それでも、とても新鮮に思えました。

映画であっても何であっても、創作というのは主人公を主体に物語が進みます。メインの人が居て、その人の人生の道筋を辿るものがストーリー。それが当たり前のことのように、私は思っていました。

それでも、現実はどうだろうかと、事実はどうだろうかと思えば。主人公は、決して一人じゃない。

誰かの人生の影に、誰かの人生がある。誰かの人生の影に、自分の人生がある。それが、本当の姿なのじゃないかと。そう思ったら、ニワトリ★スターの世界は、とても私の感覚に近付きました。

私が知る映画じゃきっとない。今まで観たことがないものがそこにある。

それだけしか分からなくて、何が起こるのだろうと思いながら、観に行くことを決めました。井浦さんがこの作品での初めてのティーチインイベントをすることが決まり、その日のチケットを取れたことが何よりの分岐点だったのだと思います。

ニワトリ★スターを初めて観た日。

2018年4月20日

私にとってこの日は、忘れられない日になりました。

 

 

その日の私は、ニワトリ★スターの基本知識を殆ど頭に入れていない状態で、初めての鑑賞を楽しむ気持ちで、買ったパンフレットは開くことなく席に着きました。

上映が始まって、いきなり女性が性的な行為をさせられているシーンには、こう言う映画だと覚悟していたし…と思いましたが、ちょっと不安になりました。痛々しいのは、嫌だなぁ…と。ずっとこのままの話だったらどうしよう。と。

そして冒頭、緩やかな雰囲気で始まった草太(井浦さん)と、楽人(成田さん)が部屋で寛ぐシーン。とてもまったりしていて、ほんの少し、安心したのを覚えています。

「草太の標準語って、たまに関西弁混じって変だよね!」と、楽人が笑います。あっけらかんとして、なんの悩みもなさそうに。

「あほぅ」と返す草太に、そうか井浦さん関西弁なんだこの役…!と思いました。イメージ、当たり前だけど中堂さんとは全然違うなって。なんだかとても、自由そうだなぁ。と思いました。とても、自由に見えた。肩に力が入っていない感じで、スクリーンが、スクリーンじゃないような感じ。まるでこの目で見ているような。

映画らしくないと言う表現が正しいのかは分かりませんが、決められた画角がない感じ。外から、物語を追っているのではない。生きている人の視線に近い感じが、不思議なカメラワークだな、と思いました。二人のゆったりした日常の様子。ギザギザアパートメントに暮らす、自由気ままな人たちとのやり取り。草太と楽人はガンジャ大麻)にゆらりゆらりと揺れながら、捕まらない程度の末端で大麻を売りながら、バーのアルバイトをしつつ毎日をなんとなく穏やかに生きています。どの瞬間も、草太と楽人は根無し草のようにふわりふわりとしていて、今このときをゆっくりと過ごしている雰囲気がとても自然に伝わってきました。

だからこそ私はいつの間にか、ニワトリ★スターの中の視界に入っていました。こんなに自然に観客を映画の世界に入り込ませる作品、そうないと思いました。気付いたら私も、ニワトリスターの世界の中を彷徨っていた。不揃いな皆と一緒になって。

 

雨屋草太役の井浦新さんと、星野楽人役の成田凌さん。お二人がこの作品のために掛けた時間や熱意は、本当にものすごいものでした。かなた狼監督が、お二人をはじめとしたキャストの皆さんに求めたものも同じように。私は情報として、井浦さんと成田さんがこの作品のために何をしていたのかを知った上で初回を観に行っていたのですが、井浦さんと成田さん。お二人の演技は、演技という枠組みを超えたもののように私の目に映りました。

井浦さんと成田さん。お二人は、草太と楽人を演じるに当たって、10日間の共同生活を送った上で撮影に臨んでいます。大阪は黒門市場近く、草太と楽人が過ごしたギザギザアパートメントの元となった道草アパートメント近くで、二人きりの共同生活。草太と楽人としての距離を、自然なものとするために。

そのときの様子やお二人がお互いへ向けるお気持ちなど、初めて観た後にインタビューやティーチインでお聞きし知ったことも多いのですが、お二人がどれほどに本気であったかは作品を観れば分かりました。

ニワトリ★スターの凄いところは、キャストさんが全員、その役としての人生しか感じさせないところにありました。スクリーンの中に、ニワトリ★スターの中に、「役を演じている者」は、一人も居ない。全て、その世界のキャラクターだけが、存在している。違和感や、白々しさなんて一欠けらもない。全員が全員、あの世界を、生きている。それが、とても深く強く、伝わって来るのです。本気で向き合わなければならないのは、観客である自分だ。そう、思わせる力のある作品でした。それは、監督をはじめ、主演のお二人に続き、ニワトリ★スターに関わる全ての人が本気であったということの現れでしょう。

本気の熱量は、情熱は、これほどに伝わるのだということを、私はこの作品を通して実感として知ることが出来ました。それはとても、とても凄いことであり、創作者としては、これ以上にないほどの刺激になるのだと。文章を使って表現することを私自身も行っていましたので、心の、魂の奥深いところが煽られて燃え上がるような、熱を分け与えられたような気持ちになりました。

 

井浦新さんと成田凌さん。今をときめく人気俳優のお二人が、ニワトリ★スターでは、今まで見せていた表情や演技とは全く違う一面を見せてくれています。夢の中で、草太が暴力や強引な性行為に晒されている姿を見て。管理人さん役のLiLiCoさんと楽人の、あられもない行為を見て。ギザギザアパートメントで店を営む本質的にはレズビアンのゲイのカップル、シャックさん演じる菊と、マグナム弾吉さん演じる熊のやり取りをぽかんとした表情で見る草太と楽人を見て。

二人の日常は、演じる井浦さんと成田さんお二人の一般的なイメージから考えたらここまでして良いのかとすら思うほどに赤裸々でした。それほどに、本気で、妥協なんて言葉は一切なく。監督が表現する、表現しようとする世界の中の一員である人生を、誰もが皆送っている。その本気の熱量に飲み込まれる衝撃や感動は、観客である私たちに与えられた最高の楽しみであると感じました。心地良さなんてものじゃない。濁流に飲み込まれていくような、抗いようのない熱量の流れ。息も吐けないようなそれがとても心地良いと思う頃には、外の雑音など全く気にならないくらい、私はニワトリ★スターの世界の中にいました。

 

草太は33歳、楽人は26歳。何の目的もなく大阪から出て来た草太は、楽人との気楽な売人生活をまあまあ楽しんでいます。楽人もまた色々な過去があり、初めて草太と顔を合わせたときには借りてきた猫みたいだったけれど、草太と暮らすうちに草太と過ごす毎日に柔らかく穏やかな日常を感じていて。

ずっとこのままで良いとは思わないけれど、もうしばらくこのままでも良いんじゃないか。私は草太と歳が近いので、草太のその気持ちが、すごく分かりました。昔、草太と楽人と同じだけ歳の離れた同性の子と同居していたこともあったので。二人の自堕落な生活が、とても分かります。自堕落で、生産性なんてまるでなくて。人生においての実りなんて分からない。それでも、無駄な時間じゃないと思う。楽しいから。心地良いから。一緒に過ごすその人を大切だと思って、大切に思われて、楽しいことを二人で共有して、そんな毎日はとてもとても穏やかで、幸せで。先のことなんか、見なくたって良いと思いながら、それでも、一日一日過ぎていく時間が、老いて行く両親が、時間の流れが、それで良いのかと自分に問いかけている。草太の漠然とした焦りは、私にとってとても近しい感覚でした。

他愛ない、緩やかで穏やかで、うだうだとダメなところも多いけど、二人で楽しく生きていて。当たり前の幸せを、当たり前にしたいと思っていて。二人で一緒にいて、隣で息をして笑い合う。それが幸せだって。こんな日々がずっと続くと思っていた。

そしてその全ての時間の描写に、意味があったのだと言うことが、後半に近付くに連れゆっくりと分かって行きます。

 

草太と楽人の穏やかな日々。楽しいだけの日々は、脅威との出会いで劇的に変わって行きます。

津田寛治さん演じるヤクザ、八田。草太と楽人がこんなにも緩やかに生きていた時間の影で、こんなにも蠢くような狂気があったなんて。と思わせる、震え上がるような怖さがあります。人を虫けらとして扱う精神の温度のなさ。八田は爬虫類系のヤクザと表現されているのですが、まさに温度を持たない存在としての怖さがあります。八田に目をつけられた、草太と楽人に大麻を卸していたペロンヤスさん演じるJの末路。それが結果として、草太と楽人の穏やかな日々に終止符を打つこととなります。

 

草太と楽人の間にすれ違いが起き、二人は共に暮らした部屋を出ることになります。

草太は、実家の大阪へ。

すれ違いの最中、草太は不安な感情のままに楽人に言わせたくなかった言葉を言わせてしまい。楽人は楽人で、様々な思いから草太に本当のことが言えず、草太に言ってはいけないことを言ってしまいます。

もう、元のようには戻れないのかも知れない。不安とさびしさと、悲しさと後悔が、二人の微妙な距離に現れています。

肩を組んで、星を眺めながら草太の誕生日を祝った日が嘘のように。どことなく、近付ききれない二人の距離。

大人だから、普通に話しはするけれど。すれ違った距離は、簡単に埋められるものではなくて。

仲違いのシーン、そしてそれから。

 

ニワトリ★スターの中には、運命のいたずらのような、宿命のような、奇跡のようなことがたくさん起こります。

草太と楽人が出逢えたこと。

楽人が、昔住んでいた沖縄で別れた好きな女の子、紗羅マリーさん演じる月海に東京で出逢えたこと。

月海が息子のティダと、元旦那の暴力と薬物に怯えて生きていたこと。

楽人があの日エレベーターを、待ったこと。

全てが偶然で、もしかしたら必然であったのかも知れないけれど、何が偶然で何が必然であったかなんて、事が起こった後に自分自身が決めるまで分からない。それが人生であるのだと。ニワトリ★スターは、様々な出来事をその人の人生に起きたこととして、あくまでも誰かの人生として、見せてくれます。

草太が笑っている時間、楽人が苦しんでいることもある。

楽人が不安を抱えている時間、草太は変わらない毎日を過ごしていることも。

そして二人が笑っている同じ時間、傷付き終わりを迎えようとしている人もいる。

 

成田凌さんの演技を私はニワトリ★スターで初めて見たのですが、成田さんは本当に、すごい役者さんでした。

井浦新さんが夜空や海のように、ただそこにその人物が存在しているということを当たり前のこととして体現出来る。存在感の全てを役に振れる役者さんであるとするならば。

成田凌さんは、紛れもなく星であり煌めきでした。一瞬一瞬、瞬きのたびに形を変える。

「そうた」と、楽人は草太の名を呼びます。冒頭の穏やかな日常では、甘えた声で兄を呼ぶように。

中盤の、荒んだ出来事の直後帰宅した家で吐いて蹲る草太を見つけた時は、草太に負担をかけないよう自分の不安を押さえ込んで。

お互いがすれ違ったときには、草太は大阪に帰りたいんじゃないかなって。と、自分には帰る場所などないのだと泣きじゃくりたい気持ちに蓋をして。

本来の自分を強引に抑え込むのでもない。息をするように自然に、成田凌さんは星野楽人でした。成田さんの中に、楽人が生きていた。

草太を想って言葉を選び、飲み込み、瞬きの瞬間に瞳を涙で潤ませる。あの瞳は紛れもなく、星野楽人だった。

だからこそ観ている私は、楽人の人生に涙した。彼が幸せでありますようにと、ただ願った。

なぜなら、雨屋草太が、そう泣いたから。

 

ニワトリ★スターを撮るにあたって、かなた監督は井浦さんに、「いつもの井浦新の演技を1ミリでも出したら刺す」と言っていたそうです。

知り合いを通じて10年も前からの知り合いであったかなた監督の言葉を、井浦さんは忠実に守ってらっしゃいます。

撮影の1ヶ月も前から監督が吹き込んだ関西弁の会話を朝から晩まで聞き続け、身体に関西弁を染み込ませ。

成田凌さんと井浦新さんは、撮影前に10日間二人きりで過ごした同居生活の中で草太と楽人の距離感を作り上げました。

カメレオン俳優だと評される井浦新さんが、井浦新としての生理的な癖すら押さえ込んだ。ご本人が、普段人に見せないようにしている自分が映っていて恥ずかしいと完成後口にするほどに。

そんなの、どれよりも誰よりも何よりも、ニワトリ★スターの中の井浦さんは、雨屋草太以外の何者でもないじゃないですか。

関東の人が使う関西弁に違和感がある方もいらっしゃると思うのですが、草太の関西弁は、標準語は、楽人が言うように混ざっている。んです。

混ざっている。どちらにも根を下ろせなくて、帰りたい気持ちと帰れない気持ちの間で。

不安定で、自分自身に、これで良いのかと問いかけ続けているような草太。草太が母親から仕送りを受けるシーンがあるのですが、母親から送られた2万円を眺める井浦さんの表情。本当に秀逸です。

ああ…としか、声が出ない。違和感なんて、観ている間に消し飛びます。

 

だって雨屋草太は、星野楽人は、確かにそこに生きているから。

 

両親からの愛を、楽人からの信頼を、人を大切にすることを知り、傷つけられたら痛いのだと知っている。告げられることのなかった楽人の想いを知って泣く草太が。

怖がって、震えて、俺は弱くて、バカだから、輝けない星だから、そう自分のことを言いながら、草太や月海やティダを守るために勇気を振り絞って。ゆっくり、寄り道して、そうしてまた会おう。と笑う楽人が…確かにそこに、生きていた。

 

その人の人生はその人だけのもので、同じ時間に他の誰に何が起こっているかなんて分からない。それでも皆、不器用でも一生懸命に、ギザギザ傷だらけになりながら生きている。そんな当たり前のことを、ニワトリ★スターはすごく真っ直ぐに見せてくれました。

何かを押し付けるんじゃない。人生の教訓を見せるんじゃない。ただそれが、人生における岐路が、自分にいつ何が起こるか分からない、その不確かさが人生なんだと。だから、人生はファンタジーなのだと。

それだけを見せて、そして、人と人の繋がりを感じさせてくれる。ニワトリ★スターは、そういう作品でした。だからこそたくさんの人の心に、何かを残しているのだと思います。

ニワトリ★スターの残してくれた熱は、自分の中にあって燻っていた熱を煽ってくれて、一緒に炎に形を変えてくれる。今からでも遅くない。今からでも、燃え上がれる。お前は生きているんだろうと。まだ、お前の人生の真っ只中だろうと。そう、言って背中を叩いてくれる。ニワトリ★スターは、そういう作品でした。

 

 

冒頭の、あまりにも幸せな穏やかな、ダメな二人のダメな毎日。

それがどれだけ大切だったか。

失って初めて人は気付くのだと、思わされます。

物語の転機には、えげつない暴力や、悲しいすれ違い。

穏やかな四季の移ろいがあって。

私はニワトリ★スターを見るたびに、ああ。そうだよなぁ。と、しみじみ思います。

人生には分かりやすい転機があることもあれば、何もないこともある。

何もなくても人は老い、何かが変わり、自分も周りも変わって行く。

草太にも楽人にも、たくさんの過去があります。二人は二人の人生をそれぞれに歩んで来たのだから、それは当たり前のことで。口に出さなくても、それが厚みとなって、伝わります。

二人の人生を見守っているような、そんな気持ちになりながら観続けて…

離れ離れになってからの草太と楽人の表情は、一緒にいたときと大きく変わります。それでもひとときの電話での時間。

楽人は、草太の知る楽人であろうとし。

草太は、自分の知る楽人を感じて安心します。

 

またね、が、どれほどに重い言葉だったのかを、感じます。

 

 

『これは”希望”の物語です』

かなた監督の原作、初めのページに記載されている言葉です。

ニワトリ★スターは希望の物語であり、終わりに向かう話じゃない。

草太と楽人は、また二人笑って、ニワトリ星で、また、会うのだと。

だからどうか、目を背けたくなるシーンがあっても、観続けて欲しい。

暴力は痛くて悲しくて良いものではないのだと、ならば良いものって何なんだ?生きることって、何なんだ?

それを形にしてくれた監督の想いが、それを全力で演じ切ったキャストの、世界観を作り切った作り手の、迸るような情熱がそこにはあるから。

 

なにが響くかは、人それぞれだと思います。

誰に感情移入するかも、人それぞれでしょう。

それでもニワトリ★スターは、どの瞬間を切り取っても、湧き上がるような熱を内包しています。それは本物の、本気が見せる熱なのだと思います。

笑い飛ばしたりなんて、出来やしない。自分の中にある熱を、煽って共に燃え上がっていく熱が。確かにそこに存在しています。

きっと何かしら、何が何なのかすら分からないけど凄かった。と、思うんじゃないかと思います。

そうしたら次は、大切な人と、観に行ってみてください。

あなたはどう感じるの?って。きっと、ニワトリ★スターに感じることは、観た人の生き方そのものだと思うから。

同じように泣けた人、悲しめた人。笑えた人、親に電話したくなった人。家族を愛したくなった人。

自分は一人じゃないと、思えた人。

それがきっと、あなたにとってのニワトリスターだと思うから。

誰もいなかったら、劇場で一緒に観ている人たちが仲間です。私も何回も一人で行きました。

一人観に行った劇場で、隣の席のお姉さんが、おじさんが、鼻をすすりながら泣いているのを感じて。皆で同じ想いを共有できるって良いなぁと、思いました。

それくらい、一つになれる映画です。劇場で観る映画の良さすら、再認識させてくれた。

ぜひ、ご覧ください。

観たらきっと、分かります。

 

 

ニワトリは、飛ぶんです。

高く、遠く、力強く。

そして、とても、やさしく。